究極の果て 寝るって幸せ

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私は電子部品の製造会社に23年間勤めていました。そんな頃の話をしたいと思います。

私が勤めていた会社は、一部上場企業のグループ会社(子会社)でした。
一番多い時期は社員数1000人程いたでしょうか。
入社して5年位は電子部品の製造をしていました。
当時はまだ週休2日ではなく隔週土日休みの体制でした。
一週間の労働時間が48時間だった頃です。
現在は一週間の労働時間が40時間になっています。
一週間おきに夜勤と昼勤を繰り返して勤務していましたから、昼勤で月曜日から土曜日まで勤務をして次の日曜日の夜から仕事に行き金曜日の朝に仕事が終わる。
2週間仕事して3日休な感じです。でも金曜の仕事終わり夜勤明けにちょっと気を抜くと寝てしまい、休みは2週間で2日間のようになってしまいます。
そもそも人間は夜寝る動物ですから (人類の祖先は夜行だったようですが) 無理に昼寝て夜に起きる夜勤明けの朝に寝てしまうと爆睡してしまいます。
毎週が時差ボケです(海外旅行に行っていないのに)。夜と昼の逆転生活から体調を整えるのは大変です。
それでも当時はまだ若く元気があったので夜勤明けには寝ないようにそのまま徹夜ならぬ〝徹昼〟で遊んでいました。

当時は映画「私をスキーに連れて行って」が流行り、土曜・日曜日のゲレンデは人で溢れかえっていました。
リフト待ち1時間なんで普通です。

人のいないゲレンデを滑りたい、リフトに乗るのを待つのではなく、リフトが乗ってくれる人を待っている。
違ったリフト待ちをしたい。そんな思いで夜勤明けにスキーに出かけていましたが、週末の金曜日はそれでも人がいました。
本当に人がいないゲレンデを滑りたい、そう考えると平日の水曜日にスキーに行くという答えがでたのです。
夜勤明けで徹夜ならぬ〝徹昼〟は何度もやってきましたから夜勤の途中の水曜日でもスキーに行けるという、へんな自信が完全に私を支配しています。
そして、実行。早々にその日の仕事を片付けると、出勤前にスキー板をキャリアに積んだ車に乗りスキー場に向かいます。
少しでも距離を稼いでおかないと平日の通勤ラッシュに巻き込まれてしまいます。予定通りに到着すると、駐車場には一台の車もありません。
貸切です。いや、もうすでにマイゲレンデです。
あまりの嬉しさに滑って滑って、夕方5時まで滑って帰路に着きます。

平日の仕事帰りの渋滞の中で眠気と戦いつつ何とか出勤。そのまま次の日の夜勤に突入、仕事中の眠さといったら半端なく頭に浮かぶのはベットや布団、まくら。
次第に何も感じなくなり、まぶたが下に・・・。
昼の休憩時間(夜の12時です)に寝る。少し寝たので息を吹き返すが長くはもちませんやっぱり眠い。
3時の休憩時間のわずかな時間も寝ます。と言うよりも意識が薄れていく感覚・・・。
再度仕事に就く、眠さを通り超えて少しハイな気分に、しかし身体の異変に気が付きます。
まぶたの周り、上のまぶたと下のまぶたが合わさる部分が痛い。
究極の眠さの果てに、まぶたが痛くなることをこのとき初めて知る。
痛い、痛い、痛い・・・痛いくらいに眠い感覚。
これが究極の眠さなのか。

そんな痛みに耐えつつ仕事を終えて、家に帰り布団に入ったときの今までに感じたことのない最高に幸福な気持ち。
「寝る」ことの幸せをこんなに強く感じたことはありません。
「寝てもいいんだね・・・。」「いいんだよ」 (明日の夜勤に間に合うまでなら寝ても。) ううぅぅぅぅ、う・れ・し・い。こんなうれしいことはない。僕には帰れる布団があったんだ。こんな究極の眠さの果てを知っている人ならわかってくれるよね。(ちょっとガンダム)
疲れたよ、僕は疲れたんだ。なんだか眠いんだ・・・・・(ちょっとフランダースの犬)

究極の眠さの果てには、起き続けることの辛さと、寝ると言うことのしあわせが表裏一体となって存在していることを思い知らされた。

夜勤してなかったらこんなこと思わなかったんだろうな。
暑さに耐えながら冷たいお茶や清涼飲料水を我慢して、やっとたどり着いたビールと似た感覚かな。
我慢して我慢して、耐えて耐えて、一気に開放。日本人の気質が生み出す究極の感情がここにある(大袈裟かな)。

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