私が花粉症になったのは今から42年ほど前のことです。
当時は花粉症という不思議なアレルギー症状はあまり認知されていませんでした。
小学生5年生の春、ちょうど桜が咲く頃に酷い目のかゆみに襲われます。
かいてもかいてもかゆみは収まらず、それにプラスして鼻水が落ちるように流れ出し、それはとても辛い日々の始まりです。
目は掻き過ぎたせいで瞼の周りが、鼻の下は鼻をかみすぎたせいで荒れてしまい、これ以上目をかくことも鼻をかむこともできないような状態になってしまいました。
見兼ねた親は、眼科に連れて行ってくれました。
待合室には大きな水槽があり当時はとても珍しい熱帯魚が泳いでいました。
しかし私にはそれを楽しむ余裕などなく、早く診察をしてほしいばかりでした。
やっと名前を呼ばれ、診察室で白髪交じりの医師が問診を始めます。
今日はどうされましたか?
私はその質問に答える気すらないくらいに心が疲れていましたから、実際に手で目を強くこする事しかできませんでした。
すると父が医師に、目がかゆくてかきすぎて目の周りが荒れていることを告げました。
医師は、目に雑菌が入って炎症を起こしていると診断しました。
更に医師は、お風呂の際に湯船に潜ったりして遊んでいませんかと、とても自信ありげに聞きました。
きっと、以前に診察した症例にあったのでしょう。
私は小さく首を振りました。
しかし、父は潜って遊んでいますと言てしまいました。
医師は自慢げに、それが原因ですね。それでは、目薬と塗り薬を出しておきます。
一件落着・・・そんな訳あるか!
このヤブ医者が、原因はそんなんじゃない。
子供心に医者を含め先生と呼ばれる人にはろくな人がいないと悟った瞬間でもありました。
(そんな人ばかりで無いことに後に気づくのですが、でも大半がそんな人であることも再認識したりしました。)
薬を貰って早速使ってみるが、案の定効果がない。(荒れた部分には多少塗り薬は効果があったかな?)
花粉によるアレルギー症状の対処薬ではないのだから当然です。
それから、今日に至るまでの42年間この症状は続くのです。長い付き合いです。
この症状が花粉症と認識される始めるのは、この日から7年程先の事となります。
それまでの数年間、ただただかゆみに耐え、鼻をかみ、くしゃみを連発する、憂鬱な春が続くきます。
対処法は、とにかく耐える。
クラス替えや進学の時期と重なり、みんなが新しい友達作りなんかに騒いでいるときに、私は自分の席の椅子に座ったままで、兎に角花粉症に耐え静かにしているだけです。
折角話しかけてきてくれても、素っ気無く一言二言返事をすることしか出来ません、すかした奴、暗い奴と思われてかなり孤立していました。
思春期の男子です授業中に鼻をかむ行為は恥ずかしくてできませんから必死にすすります。しかし気を抜くと鼻水が教科書にポトリ。
目を開けていると痒くてしかたがないので目を閉じると、周りからは寝ていると思われる。
昼食の時も、口を動かしていると鼻水がポトリとオカズの中に・・・、それでも仕方なく鼻水入りのオカズを口に運ぶ。
辛かったな。本当に辛かったな。
春は嫌いです、大嫌いです。
桜が咲いたなんて浮かれて花見をしている人達がうらやましいから、桜も嫌いです(桜には何の罪もありません八つ当たりです)。
それよりも、スギとヒノキが大嫌いです(私を苦しめる原因ですから)。
誰がスギやヒノキを植林したんだ、植えた奴も大嫌いです。〝坊主憎けりゃ袈裟まで憎い〟です。
花粉症 その2
花粉症 その2 | 国民病になった花粉症 いつか治ると思いながら42年が経ちました 自然に治ることは無いようです
コメントを残す