臨時休校 学校を考える 新たな仕組みが必要な時が来ました

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政府は2月27日午後6時すぎ、総理大臣官邸で新型コロナウイルスの対策本部を開き、3月2日(月)から全国すべての小学校・中学校、それに高校と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請をしました。
これを受けて文部科学省は全国の関係機関に要請を行い臨時休校が実施されています。


この機会に現在まで続いている従来型の学校制度を見直す時が来たのではないでしょうか。
現在、学校では教員不足やイジメなど、多くの問題を抱えています。
これらの問題からも現在の学校制度は立ち行かなくなってきていると考えられます。
そして今回の感染症対策による臨時休校が、学校での集団教育の在り方の見直しをする良い機会だと思います。
新しい学校教育の仕組みを作る時が来ているのです。

満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満15歳に達した日の属する学年の終わりまでの間、学校にみんなが集まって集団で教育を受ける仕組みが義務養育です。

集団の必要性

学校教育に集団の必要性がどれほどあるのでしょうか。
国語や算数は集団で学ぶことが必要なのでしょうか?
体育は集団で学ぶことが必要なのでしょうか?
わたしは必要ないと思っています。

今回の感染症対策による臨時休校も人が集まる集団になる事が一番の原因です。

人が集まる事、集団になる事の教育の必要性は何なのでしょう。
グループやチームなど共同で何かをするためでしょうか?
わたしは学校でやらなくても良いと思っています。
もっと別の場所や別の機会にできるはずです。

イジメと動物

2人だとケンカが起こります。
3人集まるとイジメが起こります。
3人以上の集団になれば必ずイジメが起こります。

学校は人間的に未熟な子供たちの集団ですからいじめが起こるのは十分に考えられることです。
会社のような大人の集団でもイジメが起こっています。
子供たちにイジメをしないように指導する学校の先生同士でもいじめが起こっています。

人は集まればイジメや差別します。
何故か?人も動物だからです。
動物はニワトリやサルもイジメや差別をします。
それは生きるために行われているのです。
エサを得るために力関係を明確にする争いは、イジメと同じです。
力の強いイジメっ子(リーダーやボス)が多くのエサを得ることができます。
その取り巻きたちがエサのおこぼれに与ります。
オスが争って一番力の強いオスだけがメスを独占して子孫を残します。
これもイジメと同じです。

ニワトリは数羽を同じ場所で飼うと1羽だけがお尻を突かれて翅が抜け落ちてしまうことがあります。
明らかにイジメです。
ニワトリは異質なものを嫌い攻撃をする性質があります。
翅が抜け落ちたニワトリは、他のニワトリたちとどこか違った部分があるのです。
それは見た目かもしれません、行動かもしれません、性格かもしれません。
ニワトリ同士にしかわからない違いです。
そして、イジメられても抵抗しないとわかると更にイジメます。
場合によっては、イジメられたニワトリは死んでしまうこともあります。

どうですか?ニワトリも人も同じです。
人も動物だということが理解できたのではないでしょうか。
人は考えたり、思ったり、することで行動することができます。
動物的本能の争い(イジメ)を理性(思考や感情)で抑えることができる動物が人です。

集団で生きるとは生き残るための争いを起こす環境なのです。
しかし、生き残るために集団になっているとも言えるのです。

先生と授業

学校施設や教育設備、授業料の無償化によって教育を受ける機会は平等に近づいています。
しかし教育内容の平等は出来ていないのではないでしょうか?
先生は教員試験を合格してはいますが教え方や指導の力量・能力、思想や人格にも差があります。
先生に差があるのであれば生徒は平等に教育を受けているとは言えません。

先生の人数が足りなくて仕事量も多く十分な教育ができないと教育現場が言っています。
本来受けることができる教育が受けられていない言っているのと同じです。

少子化で生徒数は減っているのに教員数は不足しているのでしょうか調べてみます。
1960年頃の全国の児童数は約1000万人。
2019年は約640万人と36%も児童数が減っています。
(文部科学省が1950年~2019年まで1年ごとに調査している学校基本調査より)

1960年頃の小学校の教員数は約35万人。
2010年以降は約42万人以上と20%以上教員数は増えています。
(文部科学省が公表している、文部科学省統計要覧のデータより)

生徒は減っているのに教師は増えている。
それでも教師は不足している?
そして学力は下がりイジメが増える。
わたしはこの現状が理解できません。
いったい今の学校はどうなっているのか?

学習塾や予備校が学校での勉強の補助的な役割を担っています。
学校で勉強を教える事が十分に理解できないことと、受験に対応していないことがあります。
受験の為の勉強を塾でする場合が多いとは思いますが…。

40年以上前になりますが、わたしも学校の授業だけで教えられたことが理解できませんでした。
理解できないままに授業は進み終わってしまう。
当時は学習塾もなく誰も教えてくれませんでしたから結局わからないままになってしまいます。
教科書をしっかりと読んで問題集を解いて理解するしかありませんでした。

義務教育の間に、わたしも多くの先生に教えてもらいました。
今、思い返しても良い先生には巡り合いませんでした。(わたしにとって良い先生にです。)
結局、わたしにとって先生という存在はその程度だったのです。
中には、とても良い先生に巡り合って人生が変わった人もいるとは思いますが・・・。
大半の人が、わたしと同じように思っているのではないでしょうか。

逆に、先生としてどうかと思う人のほうが多かったように思います。
人間的にどうかと思う先生もいました。
小学生だったわたしがそう感じたのですからよっぽどだったのではないでしょうか。
日によって、機嫌がよい日と機嫌が悪い日がはっきりとわかって、わたしたち生徒への接し方が違うのです。
わたしは先生の顔色を窺って気を使って接していました。
わたしが、先生 機嫌が悪いなと思っているとクラスメイトの誰かが怒らせてしまう。
もう少し察しろよと思いながら、やっちまったなと絶句する。
先生も人間ですから気分によって仕方のない時もわかりますが・・・。
一応、先生と呼ばれる人だったらもっと人格者であってほしいと思います。

生徒の中で授業がわかりやすい先生とわかりにくい先生、好感度の高い先生とそうでない先生に評価されます。
新年度の担任発表の時など担任の名前が呼ばれると歓喜の声が上がったりブーイングが響いたりとわかりやすかったです。
生徒のこんな声を先生自身はどう受け止めていたのでしょうか?

オンラインスクールの可能性

わたしはオンラインスクールを導入するのが良いと思っています。

教育の平等、勉強・学習の平等を現実化するのであれば、最も生徒に理解してもらえる授業をインターネットで全国の学校に配信する。
自宅でもインターネットで授業を受けることができる。
学校に行かなくても平等に教育を受けることができる。

 

アメリカではハーバード大学がオンラインスクールを行っています。
中国でも行われているようです。
日本も一部の教育機関でオンライン授業が始まっていると聞きます。

教員不足が問題になっているのであれば、教科書を使った授業は動画にしてオンラインスクールにすれば教員不足は解消されます。
教科書は全て動画にすれば先生は最小人数にできます。
先生によって教え方や指導の力量や能力に差があるのであれば、なおさら動画を使ったオンラインスクールを行えば生徒全員が同じ授業を受けることができるようになります。
わかりやすい授業がインターネットを使ったオンラインスクールで受けることができれば、時間の制限もなく何度でも理解できるまで授業が受けられます。
オンラインスクールは生徒全員が同じ授業を受けることができる本当の平等が実現できる仕組みです。
インターネット技術の進化に伴う時代の変化に合ったオンラインスクールを導入するべきではないのでしょうか。

日本国民全員がインターネットを利用して、すべての教育機関の授業や講義を受けることができるオンラインスクールの仕組み作りをする。
集団でしかできない教育を優先して学校で教え、個で学べることはオンラインスクールで教える。

インターネット環境を活用したオンラインスクールと学校での集団教育によって、教員不足やイジメの問題が解消され本当に平等な教育が実現されるとわたしは思っています。

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