見たものは、見ていた時間が長かったり、繰り返し見ていると覚えていることがある。
一瞬見ただけでも忘れられないで記憶していることもある。
香りや臭いも同じことがある。音・音楽・メロディーも聞いたことがあると思ったりする。
そして、動き動作も長い間の繰り返しによって脳が記憶することがある。
人を機械に例えると、視覚・嗅覚・聴覚などの5感は何かを感知するセンサーで入力・インプット信号となる。脳はCPU・中央演算処理装置とメモリー・記憶装置になる。動き身体・筋肉はアクチュエーターで出力になる。機械はセンサーで感知して、CPUで判断し条件が揃えば動作指令をだして、機械が動く。人も機械と同じように体を動かすのだが、無意識に体が動くことがある。
私は無意識に間違えた動きをしてしまうことがよくある。
キーレスのボタンを押してエンジンを始動させる車に乗ってキーホールを探したり、キーを回してエンジンをかける車に乗るとスターとボタンを押そうとしてしまったりする。
もう何年も前になるが4年間ほどワイパーとウインカーの位置が逆の車に乗っていたことがある、その車に乗り始めた頃はよく間違えて右折や左折の時にワイパーを動かしていた。車を乗り換えてワイパーとウインカーの位置が元に戻ってから20年以上経つが、最近でもウインカーではなくワイパーを動かしてしまうことがある。
以前は温水便座の温水を出すのがレバー式のものを使っていた、古くなったのでリモコンスイッチ式の新しい温水便座に交換し、もう半年も使っているが用が済むと右手でレバーを探ってしまう。
ちょっと違うけれど、卵を割ってボールに黄身と白身をを入れようとして、流しの三角コーナーに黄身と白身を捨ててしまい殻をボールに入れたこともある。
歯磨き粉を歯ブラシに付けて、その歯磨き粉を冷蔵庫に入れようとしたこともある。
脳からの出力は間違ってはいない、やろうとしていることも正しい。
脳からの出力は筋肉を動かす運動だけなのに、違った筋肉を動かしてしまう。
無意識に体が動いて結果間違った動きをしていると感じるが、脳は意識して動きを出力している。
でも、無意識に動いているように感じるほど一瞬の判断が合っていないから間違っているように感じる。
一度体が覚えてしまうと忘れることはないという。
一度自転車に乗れるようになると暫く乗っていなくても自転車に乗れるのと同じように。
でもそれは、体が覚えているのではなく脳が覚えていて脳からの出力がなければ筋肉は動かないはずなのに自然に体が反応して勝手に体が動くように思える感覚。
考えないとはこういうことなのだろう。
今日も私の脳は右手でレバーを探る出力をだすだろう。
そしてそんな自分自身に苦笑いをするだろう。
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