先の事はわからない。
よく聞いたり、言ったりする言葉ですが本当にその通りだと思い知らされました。
そして、現実に起こったことが小説や映画やドラマを超えてしまう事もあります。
わたしが、中学生だった40年前に角川映画「復活の日」が公開されました。
物語は、スパイに盗まれた生物兵器の病原菌(ウイルス)を乗せた小型飛行機が雪山に墜落します。
病原菌(ウイルス)は低温では活動できないのですが、山の雪解けとともに世界中に広がります。
極寒の南極基地の各国の隊員以外の人類はすべて病原菌(ウイルス)によって死滅します。
南極に残された各国の隊員達は人類の復活に向け病原菌(ウイルス)のワクチンを作り出します。
しかし、地震によって世界に残された各国の核兵器が連鎖的に爆発する危機がわかります。
世界中の核兵器の爆発を止めるために南極に残された隊員がワクチンを接種して死滅した世界に向います。
しかし核兵器の連鎖爆発を止めることはできずに世界は二度死滅します。
爆発を止めることが出来ず一人生き残った隊員は南極を目指して歩き出します。
歩き続け生き続け再び南極の仲間のもとへ辿り着きます。
人類の復活の日のはじまりです(終)。
昨年の11月頃にAmazonプライムの無料動画リストに「復活の日」を見つけ懐かしく思い観ました。
記憶も曖昧で内容も忘れかけていました。
40年も前の映画ですから映像的に現在の映像技術と比較すると見劣りする部分もあります。
内容的にもツッコミたい部分もあります。
それでも、引き込まれて観てしまいました。
良く出来た映画だと改めて感じました。
それから2ヶ月後の1月、映画のような事が始まったのです。
ウイルスによる肺炎が広がりはじめます。
そして更に一ヶ月後の3月、世界中にウイルスの感染者が広がっています。
原因はわかりません。
未知のウイルスです。
何故あの時に40年も前の映画を観たのでしょう?
忘れかけていた物語を改めて思い起こすことをしたのでしょう?
何かの予感があったからなのでしょうか?
こんな記事を書くことになるとは映画を観た時には思いもしません。
ただ懐かしく昔の映画を観ただけです。
先のことはわかりません。
しかし、映画を観たあとでは希望的な未来を思い描く事ができません。
これから起こる現実はどうなるのか、不安で仕方ありません。
わたしに何ができるのかどうしたら良いのか全くわかりません。
きっと映画の中で病原菌(ウイルス)に感染して、死んでいく人々も同じだったのでしょう。
はじめはみんな事の重大さに気付いていません。
そして気が付いた時はどうする事もできない手の施しようの無いところまで来てしまっている。
そして南極に残された人以外はすべて死滅してしまう。
3月29日、国民的コメディアンがウイルスに感染したことが原因で亡くなりました。
わたしが小学生の頃からテレビの中で笑わせてくれた人が亡くなってしまったのです。
感染からたった2週間です。
この報道を聞いてみんなが気付きはじめたのではないのでしょうか、事態の重大さにそして危険性に。
自分は大丈夫だと思うことには、何の裏付けも根拠もありません。
健康で元気であったり、物事が上手く行っている時ほど大丈夫だと思ってしまいます。
しかし、先のことはわかりませんから何が起こっても不思議ではないのです。
この先、ウイルス感染が終息に向かう希望ある未来を思い願うことにします。
そして、原因を明らかにして同じことが起こらないようにする。
先のことはわからないからこそ、様々な事象を想像して準備をし行動する。
一人一人が想像力を身に付けて先のわからない未来に対応できる能力が必要です。
わたし達は、今を生きると言いますが今を生きているのではありません。
今は既に過去となり生きるとは今より先に続きます。
今が過去となり次に来る今が未来だったのです。
今の積み重なりが過去であり、次々に訪れる今が未来です。
今とは過去と未来の境にあってないものなのです。
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