あふれる情報の中から真実を見つける

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ネット上には様々な情報が数多くあります。
情報は個人が発信した物から、組織やメディアから発信された物まで様々です。
すべての情報は正しいのか誤っているのかがわかりません。

これはネットだけの話ではありません。
テレビ・ラジオ・本・新聞、全ての情報は正しいのか誤っているのかがわかりません。
そんな情報をわたし達はどうやって判断しているのでしょう。

例えば、知り合いから聞いた話の正誤をどう判断しますか?

とても素直で人を疑うことをしない人であれば、その話はどんな人から聞いても真実で正しいと判断します。
逆に、全てに疑問を持つ人(疑う人)であれば、その話をどんな人から聞いても真実で正しいと判断しません。
情報を伝えた人が信頼できる人物か、話の内容を精査して理解し納得をして自分にとって正しいか判断をします。
更に、その話を人に話して反応を見る人もいるでしょう。

多くの人々に余裕がない世知辛い今、疑うことが当たり前になってしまいました。
それでも、信じてしまって騙される人はいます。
なぜでしょう?


わたしが小学生だった頃、本や新聞を読むよう言われました。
中学生の頃は、夏休みにある特定の新聞の社説欄を切り抜いてノートに張り付けて余白に感想を書く事が宿題になっていました。
テレビもニュースや教育番組・NHKを観るように言われました。
今よりも放送倫理規定が緩かったのでエログロナンセンスな番組が多かったことも事実です。
それらは、すべて正しい事としてわたし達に言われてきました。
しかし、それは誰かの正しい事で、わたしにとって正しい事では無いかもしれません。
正誤の判断をする知識も能力も無かったわたしは、それを正しいことだと信じるしかありませんでした。

学校で先生が教えてくれることは正しいと信じていました。
親の言うことも正しいと思っていました。
年上の人には従う年功序列。
先生と呼ばれる人は偉い。
こんなふうに教えられて信じていました。

しかし、自分が年を重ねて自分自身を客観的に見ると自分自身が人から尊敬されたりするような人間ではないことを実感します。
わたしと同じにしてはいけないのでしょうが、当時の年配の人たちはどうだったのかと思ってしまいます。
わたしが教えてもらった先生方も、今になって思い返すとわたしにとって素晴らしい人格者で尊敬できる先生はいなかったと思います。
(わたしの接し方にも問題があると思いますが・・・)

振り返って今までの事を見ていくとどうでしょうか?

特に教科書はどうでしょう。
歴史の教科書は誤ったことが多く書かれています。
それは今も続いています。
真実ではない歪曲された歴史が教科書に書かれ教えられています。
誰かに都合がよくて、誰かが得をする作られた歴史を教えられたわたし達は、それが正しいと思う他なかったのです。

新聞

インターネット・テレビの無い時代に新聞は人々を誘導する誤った記事を書き続けました。
日本が大東亜戦争へ向かって行ったのも新聞が大きく関わっています。
今もある新聞社が国民を戦争へと誘導していった事は明確な事実として証明されています。

テレビ

新聞社の傘下にあるテレビ局が多く、新聞社が書いた一部の人たちに都合の良い誤った記事をテレビを使って更に人々を誘導する。
近隣国との歴史問題を捏造したのは新聞とテレビです。
その捏造された歴史によって日本は貶められ世界から非難を受けています。

インターネット

今、インターネットの普及によって個人が情報発信できるようになりました。
自分の知りたい情報を簡単に手に入れることができるようになっています。
インターネットの無い時代と比べれば正しいことも誤ったことも知ることができるようになりました。
今まで1つしかなかったものが、多くの中から選ぶことができるようになったのです。

 

環境は整ってきました。
これからは、その多くの中から自分にとって本当の事、自分にとって正しい事を見極める力が必要になったのです。

判断力

自分の中で正しいことを判断する力・能力をどうやって身に付けるのか?

その為には多くの事を知り、知ったことの是非を繰り返す。
何度も何度も多くの物事で繰り返し行う。
感情ではなく、客観的に原理原則に従って判断する。
明確に出来ない物事は、可能性の高い方を正とするが、その後に新たな情報や意見が出てきたら、更なる判断材料として自信の判断の正誤を絶えず繰り返す。
決して思い込みや感情で正誤の判断をしない。
自分が正しいと判断したことが、理路整然と論理立った説明が出来て、自分自身が納得できるまで考え抜いたのであれば、それが自分にとっての真実になります。

自分とは生まれてから積み重ねられた知識や経験によって創られ死ぬ瞬間に完成します。
それが途中であっても自分がまだだと思っても突然やってくる死によって完成となり終わるのです。

人生とは知識を得て経験を積み、自分の真実を求める力・能力を身に付ける事です。
これが自分探しです。

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